こもれる日々 第3集
2017年6月第3回個展
「田嶋陽子 書アートの世界 こもれる日々 今を生きる女たち」
(表参道ギャラリーコンセプト21)
出品作品を収録した作品集です。
こもれる日々の中から
田嶋陽子
漢字を眺めているとおもしろい発見がたくさんある。今から三三〇〇年前の青銅器に刻印された漢字の元祖を見ると、まず驚くことは、良家の男女関係が既に現在の日本の伝統的な夫婦関係とそっくりだということだ。当時の中国社会も男性が主人公で、女性はその男社会に組み込まれ、彼らの要求に従った生き方をしていたことがわかる。男が女に要求したことは、嫁として自分たちの祖先の霊と家を守り、後継ぎの男子を産み、家事一般の采配を振るうこと。男から見た望ましい女性像は、“大きな胸と豊かな腰、しかも華奢で美しく、できれば賢くてなまめかしい女”ということになる。
女偏の漢字と女が組み込まれた漢字を三種類に分けて眺めてみると、「女」が男社会にどう組み込まれているかがよく見える。
①立場や身分、状況を表す
母 嬢 姫 姉 妹 姪 妊 娠
姓 妾 など
②いい印象の例
好 安 始 婦 姑 威 如 妙
嬉 要 腰 婉 嬌 など
③悪い印象の例
奴 怒 妾 嫉 妬 嫌 奸 媚
妨 姦 など
①の漢字では、「母」は乳が二つ。「嬢」は胸のふっくらした女性の意味。「姫」も乳が二つあるの意味。人間としての女性のイメージというより、母親予備軍として期待される女性像が肉体的特徴で表されている。
②の漢字には、期待通りの役割をつとめてくれる女性を喜ぶイメージがある。例えば「好(すき)」は女が子供を抱いていとおしむ姿。男にとって、自分の子どもが大切にされている様子は好ましいのである。
またなぜ「安(やすらか)」かと言えば、“新妻が嫁ぎ先の夫の先祖を祭る廟(宀)の中で、平穏な生活を願って力を貸してほしいと祈る姿に安心を覚える”という意味からきている。
「婦(つま、よめ)」は、一家の主婦として、箒で廟の中を祓い清め、夫の祖先の霊に仕えるという大事な職分を担当していた。そうやって「婦」が夫の祖先の霊に長年仕えているうちに、次第に聖器の戉(まさかり)の霊力に清められ、厳かな姿、立ち居振る舞いになり、人をおそれさせるような存在感をかもし出す、すなわち「威」となる。これが夫の家に仕えた女性の良妻賢母としての最たる存在の証である。
余談だが、どう見ても良家のお嫁さんには似合わないオキャンな女性が良家に嫁いだというのでみんなで驚いていた。彼女いわく、その家に挨拶に訪れた際、真っ先にお仏壇を拝ませてもらったところ、気に入られて嫁にしてもらえた、とのこと。三千年前の漢字の歴史が現代の日本のしきたりに残っていることが興味深い。
③の漢字には、当時、良家同士の婚姻関係の外にいる女の人生が見て取れる。漢字から見る限り、それは悲惨の一言に尽きる。奴隷の「奴」からは、女を手(又)で捕えて召使いや性奴隷にしていたことがわかる。「怒」はその「奴」の心、すなわち怒りを表したものと考えられる。少し前まで日本でおめかけさん(愛人)の意味で使われていた「妾」は、入れ墨を額にされ、神(男)に犠牲として差し出された女性のこと。
また人間のよからぬ性情を表現する女偏のついた漢字は、それを作った男たちが自分たちの中に認めたくない醜いものを女の特性に見立てたとも考えられる。誰でも知っているように男の嫉妬心は権力次第で国をも滅ぼす。
一方で、支配階級からヒドイ目に遭っていたのは男も同じだった。いま民主主義に使っている「民」や、臣下の「臣」は、いずれも針で目をつぶされた人を表している。トップを裏切らないよう隷属のために目をつぶされた人たちが「民」であり「臣」である。いま民主主義にこの「民」の字を使うのはどうかとさえ思うこの頃である。実際にいま現在、昔の中国の漢字をそのまま使っている国は、台湾と日本だけだと言われている。
ところで、男偏の漢字はない。「男」を組み入れた漢字はある。「勇」、「甥」、「虜」など。また「姉妹」に対して「兄弟」、「嫁」に対しては「夫」、「姑」に対して「舅」、それに「爺」など、いずれも男偏は使われていない。既に女性は、見られて扱われる支配の対象であり、ボーヴォワールの言う「二級市民」にされていたということがよくわかる。
参考文献:『常用字解』白川静(平凡社)